[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
円仁剃髪の井戸
大慈寺の霊水。
円仁は794年の生まれとされているので、10歳前後で出家したとして、1200年以上前からの枯れない井戸。
地元では、真壁の「湯袋峠の名水」と佐野田沼方面の「旗川湧水群」の2か所しかないので、できればも
う一つ探したいところ。
円仁は慈覚大師・第3代延暦寺座主でうんちくと伝説はご霊水として充分。
ただ、くみ上げ式っぽいところが、気になるところ。
どうしても、衛生上、人工的な管を使うと、水の劣化が激しくて透明度が落ちるもの。
(だから、水道水は薬品で消毒しているということか)
残念ながら、ここもそんな感じ。
慈覚大師に敬意を表して、20リットルだけ、頂いていくことに。
それにしても、この地、岩舟町小野寺は、里山のローカルな雰囲気。
(先日もクマが出没したそう)
1200年前は、北関東最大の仏教大学の一つだったのが不思議。
当時は漢書の翻訳もやっていたはずだから、日本で最も権威のある文科系大学の一つであったはず。
もっと、交通の便利のいいところにつくればいいのに・・・・。
それとも、当時の常識で、学問は人里離れた静かな場所でしろ、ということなのか・・・。
治療室「サン光」webページ http://sankohealth.web.fc2.com/
にほんブログ村
にほんブログ村
小野小町の伝説のある大慈寺
所在地は栃木県岩舟町小野寺。この周辺に小野小町が住んでいたという。
もう、小野小町は熊本・宮崎から、岡山・京都・滋賀・福井・福島・秋田・山形と、ほとんど各都道府県すべてに
出生伝説やお墓伝説がある状態。
どうして、こんなに伝説が広まったのだろう。
女流文化人という存在が、よほど強烈だったのだろうか? 小町の「小」は年若の意味で、「町」は宮廷につかえる
女官という意味であるとか。
もう一つ、ここ大慈寺は、栃木県最古の寺。円仁が修行したところでも有名。円仁は慈覚大師。のちの第三代天台座主。
しかも第四代天台座主安慧も大慈寺で修行していたという。
最澄が、関東での布教を開始した時、この大慈寺を東日本全域の拠点を考えていたらしい。
イメージとしては、偏差値75の文系大学の頂点というところか。
寺領はかなり広くて、うしろのお山に奥の院があるほど。ここで登ってしまうと始業時間に帰れなくなってしまうので
次回のテーマに。
治療室「サン光」webページ http://sankoakino.yuki-mura.net/
村檜神社の御神木
主祭神は誉田別命。
つまり第十五代応神天皇。創建が646年。
応神天皇が活躍したのが西暦400年くらいといわれているので、かなり詳しい伝説が伝わっていたかもしれないと想像するとちょとワクワクするかも。
応神天皇は仁徳天皇のお父さん。
実在した可能性が高いといわれ、実質的な天皇家の創業者、もしくは中興の祖というイメージ。
あたりは杉の巨木がたくさんで、いかにも歴史のある神社という雰囲気。
あたりは「クマに注意」の看板があって、なかなかの雰囲気。
ためしに御神木に触れてみると、ドーンと心臓に何か感じるのは、寝不足のせいか・・・・。
治療室「サン光」webページ http://sankohealth.web.fc2.com/
全国に4つある出流神社
満願寺の近くにある出流神社。ここ栃木市のほかに、真岡市・古河市・加須市と4つ神社が存在。
でも、みな小さい神社らしく、ネットではほとんど情報を確認できない状態。
想像だけど、周辺地域だけの小さな講のようなものがあったのでは、とイメージ。
江戸時代中期に広まった富士講や庚申講のローカル版のような。
ローカル過ぎて、もう一つ大きなグループになれなかったのかな?
ここは森の中に囲まれた静かな神社。
治療室「サン光」webページ http://sankoseitai.han-be.com/
出流山満願寺の奥の院
3時に出発して、4時30分に出流山満願寺の山門に着。
先月に仕事の都合で、奥の院に行けなかったので、今回はそのリベンジ。
あいにくの小雨。山の天気は不安定だからね。
奥の院は、入山口から15分ほど。
早朝の5時前なので、自分ひとりの貸し切り状態。
熊の目撃例の張り紙とかあって、ちょっと怖いけど。
大慈の滝は、よく滝行のロケに使われるところ。
福山雅治主演の「ガリレオ」にもそんなシーンがあったとか。
奥の院の拝殿の鍾乳石が有名。正面の大きな鍾乳石が観音様を表しているとか
治療室「サン光」webページ http://sankoseitai.han-be.com/