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龍馬の「お札」も魅力的ですが、考えてみれば、盟友の中岡慎太郎も明治まで生きていれば紙幣になっていていたかもしれません。
 
100円札の板垣退助は、中岡の政治的な意味での後輩・弟分であったし、旧500円札の岩倉具視は、岩倉村に隠棲していたのを中岡慎太郎が表に引き出して、その存在を明らかにしたといういわくつきの人物でした。
 
記録に残されている中岡慎太郎の写真はイケメンですからね。ずいぶんとかっこいい紙幣が発行されたでしょうね。
 
彼が暗殺されなかったら、日本史上屈指の外務大臣になっていたかもしれません。
伊藤博文より3歳年上ということを考えると、初代総理大臣だったかもしれませんね。
中岡慎太郎内閣というのは、想像するとワクワクしてくるものがあります。
 
彼は薩長同盟の推進者として有名ですが、その他に「薩土盟約」「薩長芸同盟(薩摩長州と安芸広島藩との同盟)、「九州諸藩連合」」という政治連合を模索していて、現代でいえば国連事務総長のような展開を企画していた珍しい革命家でした。
 
よく、平和主義者の龍馬に対して、慎太郎は完全武闘派という扱いをうけていますが、当時において日本最高の戦略家の一人だった彼が、そんな単純な思考の持ち主だったはずはなく、もしかしたら世界史の中にも類型が存在しないようなきわめて斬新な理念の持ち主だったかもしれません。
 
意外に知られていませんが、すでに1966年の段階で彼は「大政奉還論」を文章で示しており、龍馬とは互いに影響しあいながらの双子星のような関係だったと考えられます。
 
あまりにも早く死が訪れてしまったため、彼の政治理念が不透明なことは、歴史にとっても大きな不幸かもしれません。
 
「サン光」web   http://www.geocities.jp/sanko3911/     2490
 
 
 
 
 
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